宇宙のきらめき

宇宙目線で地球暮らしを楽しむコツを紹介

宇宙少女の歴史 2

(ドイツの自宅から見える空)

新しく知り合った人たちから、私の人生について知りたいと言われることがよくある。
まぁ、直接の知り合いでもない人たち(このブログを読む人たち)が、どれほど他人である私に興味あるのかは分からないけれど、日本で産まれて育ったにも関わらず、日本社会とは全く別の宇宙に生き続けて(苦笑)、そのままヨーロッパ発信で、世界を旅しては歌を歌うという職業をしているなんて、ちょっと珍しいと言えば、珍しいだろう。なので、シリーズにして書いてみようと思う。

理数科時代

幼稚園、小学校、中学校と、先生という名前のついたエゴを隠せない大人達の作る社会的教育の場に苦しみ抜き、病欠を繰り返したのちに入った高校は、やっと心地よい場所だった。
先生達は、苗字をさんづけで呼んでくれる。これだけでも、やっと軍隊から抜け出した気分だった。

理数科は、クラスの殆どが男子で、少し居る女子も論理的で、これも非常に楽だった。彼らは何も干渉してこないし、特に共感を求めてこなかったから。
高校に入ってからは、私はまた私の個性を認めてもらうことができ、私は「宇宙の真理の探究」に目覚めた。子供の頃から知りたかった、私は、なぜ地球に住んでいるのか?また、地球とは何か?この世は本当に存在しているのか?を探った。

師範大学

私は大学に行きたくはなく、出来れば海外に移住したいと思っていた。が、根本的に飛行機が怖くて乗れない私だった。
が、先述の変わり者の母が、何も決めてないなら国立大学へ行けと言った。
従う以外に、考えが浮かばなかったので、国立のどこかの大学へ行くことにした。しかし、特に勉強したくなかったので、2次試験が一発芸の音楽科に行こうと大学を探したら、東京藝術大学を除いては、教育学部以外に音楽科が無い。

…。

私が幼児期から苦手だった、社会的な大人たち=教師。
それを育てる学校とな…。
 
私には自分に対する嫌悪感しか湧かなかった。

しかし、背に腹は変えられない。もう11月だ!私は、慌てて歌を始めた(ピアノは毎日8時間練習してる人たちが受けるので間に合わない。歌なら歌えばいいだけなんだ!と思った。知らないという事は愚かだが、時々役に立つ!)
せめて師範大学ではない大学の教育学部に行こうと(家から近いし)、前期試験を受けたが、こちらは受からなかった。
そして後期で国立の師範大学に受かった。私は、皆も私の様な動機でこの大学に来たのだろうと信じていたので、殆どの人が学校の先生になりたいと言っていて驚いた。
そして、やはり社会的な考えの人ばかりで、皆良い人ばかりだったけれど、話が通じなかった。

音楽も、それまで私がやってきた音楽をする人が一人もおらず…音程もリズムも楽譜通りで正しいが、魂が共鳴する事が無かった。まるで棒読みで無表情の芝居を見ているようだった。
ところが、あちら側(先生達も同級生たち)も私の音楽の方を「間違い」と言った。
私の側からすれば、機械の様に聞こえてくるこれは一体何なのだ?!と思ったが、彼らにとっては私の音楽が「間違い」となる。
そもそも音楽において「正解」や「間違い」という表現が、私には理解できない。
それで、もうここには居られないと思い、1回生の夏休み母に辞めたいと言った。
そうすると、もう後期の授業料を払いこんだと言われたので、渋々、とりあえず後期はまた大学に行くことにした。

外国人寮

音楽棟のトイレで手を洗っていたら、一人のシンガポール人の女性が私のネクタイを褒めた。私が、「ありがとう!」と言ったら、彼女は「あら!あなたは日本人なのに、ガイジンに話しかけられても逃げないの?話をしてくれたのはアナタが初めて!」と言った。

私の中学・高校の英語の成績はすこぶる悪かった。数学は男子を差し置いて学年で1番だったが、英語はいつも下のクラスに入れられた。
しかし、私は、あまり気にしてなかった。というか、もう6年もしっかり習ったんだから、出来ないはずがないと思っていた(笑)

それから、彼女は、私を彼女が住む、大学の留学生寮に招いた。そこには、各大陸からの留学生が居た。殆どが、既に自国で学校の先生をしているが、休職して支援を受けて日本の大学に新しい教育論を学びに来ているので、私より随分年上だった。私が、キッチンに座っていると、皆がぞろぞろやってきた。「やっと日本人と話が出来る!」
聞くと、皆もう2年以上住んでいるが(まずは外国語大学で日本語を1年半習ってから、専門の大学に行く)、日本人の友人は一人も出来なかったと言う。
それで、そこから私は、彼女らと友達になり、私のなけなしの英語で、日本と日本語について語った。
結局大学4年間、私は、大方の時間を留学生と過ごした。
その時に、気づいたのは、だから私は第一志望の大学に落ちたのだと言う事だった。
あの日本の大学ランキングで上の方に鎮座する大学に行っていたら、留学生と毎日を過ごすという事はできなかっただろう。(それ以前に、私の大学よりもさらに音楽の実技が無いらしい。私の大学では、それでも、卒業論文の代わりに、歌の実技で卒業できた)
私は、自分が師範大学へ行くことが本当に許せなかったし、恥に感じたので…未だに大学名は言いたくないのだけれど…それでも、私には結局、私に最良の道が与えられているのだと知った。

今日はここまで!